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zoom RSS Village of Kosobe 古曽部の里散策 <高槻市>

<<   作成日時 : 2013/04/08 22:44   >>

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平安中期の歌人、伊勢姫と能因法師のゆかりの地、古曽部の里を散策した。


伊勢姫は三十六歌仙の一人で、伊勢寺は晩年の住まいの跡といわれている。

その伊勢姫の作風を慕って、出家して古曽部に居を構え歌道に専念した能因法師は、
古曽部を拠点として東国や西国への漂泊の旅に出ては歌を詠み、
その生涯を古曽部の地で終えたといわれている。

ともに、小倉百人一首に歌が採られている。

能因が出家して古曽部に住んだのは長和二年(1013年)、千年を経た年に能因塚を訪れた。



JR高槻駅北口を出る。



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上宮天満宮




正面の通りを進むと上宮天満宮一の鳥居がある。



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[ 上宮天満宮 詳細 ]






天神山




上宮天満宮を出て西側の道路を天満宮に沿って進むと、裏側に天神山がある。



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天神山遺跡説明板



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伊勢寺




伊勢姫が晩年を過ごした旧居跡と伝えられる伊勢寺に着いた。



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[ 伊勢寺 詳細 ]






日吉神社




標識に沿って細い路地に入る。



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日吉神社の参道に着いた。


右折して鳥居まで行き、Uターンする。



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[ 日吉神社 詳細 ]






歴史の散歩路案内板




案内板があった。


この周辺に能因ゆかりの地が集中している。



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文塚




能因が晩年に吟稿を埋めたと伝えられている。



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不老水




能因法師が不老不死を願い、好んで煎茶に用いたと伝承される。



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古曽部窯跡




江戸時代後期から明治時代末期にかけて、古曽部町の五十嵐家4代が陶工を営んだ窯跡。



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花の井




古くから名水の井戸と知られ、清水がこんこんと湧き続けたという。



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伝能因法師墳(能因塚)




右折し、細い路地を入る。



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正面に能因塚がある。



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伝能因法師墳墓(能因塚)



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正面の顕彰碑は、慶安3年(1650)、高槻城主永井直清が建立したもので、碑文は儒学者林羅山によるもの。



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能因塚周辺の桜が満開。



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説明板

(説明文は後述)



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歌碑

やまざとの はるの夕ぐれ きてみれば いりあひの鐘に 花ぞちりける

山里の 春の夕暮 きてみれば 入相の鐘に 花ぞ散りける

能因
能因法師集(新古116)


【通釈】山里の春の夕暮に来てみれば、山寺の晩鐘の響きとともに桜の花が散るのであった。
千人万首より



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鐘は鳴らなったが、風に吹かれて花が散った。

法師が挨拶代りに吹かせたのか・・・



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返歌


山里の 春の夕暮 きてみれば 千歳の風に 花ぞ散りける

まさじ



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能因塚



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能因塚の裏側で畑仕事をしている人にあった。



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しばらく歓談し、引き続き能因塚の守護を続けるようお願いして、能因塚を後にした。


2013年4月5日
大阪府高槻市古曽部町他



古曽部の里 散策マップ


より大きな地図で 古曽部の里 散策マップ を表示


高槻市 > 歴史・観光 > 歴史 > インターネット歴史館 > 歴史の散歩路 > 伊勢寺・能因塚コース
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/sanpomichi/1327711086731.html

高槻市観光協会 > 厳選観光コース > 古曽部コース
http://www.takatsuki-kankou.org/modules/pico/kosobe.html

古曽部コース散策マップ
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関連

blog平成奥の細道
http://okunohosomichi.at.webry.info/



説明文

伝能因法師墳



 東西16m、南北25m、高さ1.8mをはかるこの小墳丘は、平安時代中頃の歌人、能因法師の墳墓と伝えられている。
 能因法師、俗名橘永トは、永延2(988)年長門守橘元トの子として生まれた。若くから作歌をはじめ、文章生として官吏になった彼は、当時歌道の第一人者であった藤原長能に歌を学び伊勢姫を尊敬していたという。長和3(1014)年27才になった永トは官途を去り、出家して名を能因と改め歌道に専心するようになった。
 出家後の能因が、この古曽部の地に居宅を構えたことは、12世紀に成立した「今昔物語集」で古曽部入道と呼ばれていることからも確かなことである。能因はここを拠り所として東国や西国へ漂泊の旅を重ねた。遠国から帰るたびに、能因は古曽部への愛着を深め、またこの地域の人々も、彼の独特の生活を理解し、受けいれたのであろう。
 封土正面の碑は慶安3(1650)年に高槻城主永井直清が建立した。能因の事蹟を顕彰する碑文は儒学者林羅山による。
 周辺には、能因の歌文稿を埋めたと伝える文塚、喫茶に適する水の出た井戸としてとくに名高い不老水、花の井などがある。これらは伝能因法師墳附文塚、不老水、花の井として、高槻市指定史跡に指定されている。
  昭和61年3月
                高槻市教育委員会

 山寺の春のくれ
やまざとをはるの夕ぐれきてみれば
  いりあひのかねに花ぞちりける
     (「能因法師集」)

 津の国古曽部といふ所にてよめる
我やどの梢のなつになるときは
  いこまの山ぞ見えずなりける
     (「後拾遺集」)



[能因の出家時期について]
・出家時期は長和2年説、3年説と諸説あり。
説明文に「長和3(1014)年27才になった永トは官途を去り、出家して名を能因と改め歌道に専心するようになった。」とあり、高槻市教育委員会に典拠を問合わせたところ、高槻市史と思われるとの回答があった。
高槻市史抜粋
「長和三(一〇一四)年二七才の頃、愛する女性の死を契機として出家したが、この彼の出家は仏道に専念して亡き人の菩提を弔うためというよりは、官途に見切りをつけ、現世的拘束をはなれて歌道に専念するためであった。」
なお、高槻市史の当該箇所の典拠は不明。
・能因出家に関して参考になると思われる文献
能因の出家をめぐって--能因法師集上巻の内容・構成面から
 森下 純昭
 掲載誌 岐阜大学国語国文学 / 岐阜大学教育学部国語教育講座 編
  (通号 16) 1983-01 p.p44〜57

能因の伝における二,三の問題-上-
 目崎 徳衛
 掲載誌 藝林 10(2) 1959-04 p.????

能因の対における二,三の問題-下-
 目崎 徳衛
 掲載誌 藝林 10(3) 1959-07 p.????



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